2007年08月17日

+ON WAR+ ヒロシマに来ていたチェ・ゲバラ

 ゲバラが生前、ヒロシマの原爆慰霊碑を訪ねていたこと、その時にゲバラが撮った写真が月に出版された広島の季刊誌「がんぼ12号」に世界初で公開されたらしくてさっそくその「がんぼ」を取り寄せてみる。(掲載写真の一番左がゲバラ。)

 私もつい先月、初めて原爆慰霊碑に行ったので、こんな奇遇に感謝。私が今ゲバラのような人物に妙に気がいくのも、先月いった平和記念公園で受けた衝撃のせいかもしれないと思う。

 ゲバラが日本に訪問したのは31歳の時、キューバの砂糖の輸出と工業製品などの輸入などの取引に来たらしいが、当時、アメリカの目を気にしていた日本はあまり良い返事を与えなかったらしい。また日本でゲバラ来日を知るものは関係者以外ほとんどいなかったらしい。ゲバラは日本訪問のさい、予定になかったヒロシマ行きを切望したらしく、本当は無名戦士の墓参りに誘われたらしいのですが

「行かない。数百万人のアジア人を殺した帝国主義の軍隊じゃないか。絶対に行かない。行きたいのは広島だ。アメリカ人が十万人の日本人を殺した場所だ」

とそれを拒否したらしい。そして2時間に及ぶ原爆資料館の中で案内の日本人に

「米国にこんなにされてまでなお、君たちは米国のいいなりになるのか」と問いかけたといわれる。

 以下ゲバラが帰国後報告された書簡の抜粋


「原爆の悲劇から立ち上がれ、日本よ」


(・・・)痛ましいのは、広島、長崎に原爆が投下されて14年たった今年でも、その後遺症で106名もの方々が亡くなっていることだ。我々があの殉教の地を訪れた時には完全に再建されていた。屋根の部分が埴輪の家型にできた原爆死没者慰霊碑が建てられ、その奥には原爆慰霊碑が見えた。慰霊碑の石室には姓名の判明した原爆死没者74000柱の過去帳が納められているという・・・・火災地獄の中でこれほどの命が消滅するのを見た人たちのやり場のない怒り、絶望。


同じ平和公園内にある原爆資料館では、胸が引き裂かれるような場面を見た、それはあの暗かった戦争の日々だけでなく、ビキニ環礁で行われた水爆実験で被爆したマグロ廷縄船、第五福竜丸のことにも及んだ。広島はすべて新たになった。すさまじい原爆の後、再建された。だが消し去ることのできない悲劇のしるしは、町の上にも、以前にあった場所に建てられた新しい建物の中にも漂っている。しかし、これが続くことはない、と言おう。この町を死から再生したと定義するなど、とてもできないほどの驚きだ。(・・・)

 

★南々社ウェブサイトURL 

http://www.galilei.ne.jp/nannansha/

asahi.com「ゲバラが撮った広島」

http://mytown.asahi.com/hiroshima/news.php?k_id=35000000608010001

 

投稿者 nao : 00:00 | トラックバック (0) □106.ON WAR□

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